はじめに

前回に引き続き、シリーズ「酒と人類」第二弾です。

酒は人類の発展と密接に関わっていた。

今回のテーマは、「人類はどのように酒を生み出したのか?」

「酒」とはアルコールを含んだ飲み物のこと。古今東西、いろいろな酒が誕生し、改良が加えられ、飲み継がれて現代に至っている。人類の歴史は、酒とともに歩んできたといっても過言ではない。ここで、酒の歴史に思いを馳せてみましょう。

 

出現はいつ?

人類の出現と酒の出現、どちらのほうが年代的に古いのでしょう?

結論、酒と人類の歴史は、どちらの方が古いのでしょうか?

酒の出現の方が古い

と言えます。

 

 諸説ありますが、地球に人類が出現したのは約500万年ほど前だと言われている。しかし、2千万年前の地球にすでにブドウが繁殖していたことが、化石からわかっている。ブドウの実に含まれる糖分(果糖、ブドウ糖)が微生物によってアルコールに変わっていっただろうということは、ほぼ確かと言えます。これが自然発生的に誕生した初めての酒である。

 

 

人類の製造酒は?

 酒を作るには時間とゆとりが必要となる。したがって、人類が一定の土地に定着して、農耕(定着)生活を始めてから、人間の手による酒造りが行われた。

 紀元前2500年頃に書かれた古代オリエント最古の文学作品とされる『ギルガメシュ叙事詩』はその次代の出来事を記したものであるが第11の書板に赤ワイン、白ワインの両方を造っていたことが記されている。

 また、紀元前3000年頃のものと推定されるシュメール人の遺した板碑『モニュメントマン・ブルー』には、ビール造り用のエンメル小麦を脱穀して、ビールを造る様子が描かれている。

 このように始まった酒造りは次第に人類の活動の中心となっていき、楽しい時、悲しい時、神事の時などで親しまれ、人類の文化生活を潤す存在となった。

 

「蒸留」という技術

 酒造りに大きな変革をもたらしたのが、「蒸留技術」の応用だった。その蒸留という技術の起源は、紀元前3500年頃のメソポタミアに生まれた香水の製造でした。ここから蒸留の技術と知識は世界各地へと伝播したという経緯があります。

 

 「蒸留」という技術は、よりアルコール度数の高い、強烈な酒を造ることを可能としました。錬金術師たちはこの強い酒をラテン語でアクア・ビテ(Aqua vitae=生命の水)と呼び、薬酒扱いをした。この「生命の水」の製法が各地へ広まり、人類の経験と知恵によって次第に改良され、ロシアやポーランドのウオツカ、フランス・イタリア・スペインなどのブランデー、スコットランドやアイルランドのウイスキー、北欧諸国のアクアビットへと分化し、今日にいたっています。

 

 また間もなく、様々な薬草、香草などを蒸留酒に配し、成文を浸出させより薬用効果のある秘酒の製造が行われるようになった。この酒はラテン語で、リケファケレ(liquefacere=成分が溶け込んでいる)といい、後に「リキュール」と呼ばれ、重宝された。

 

その後大航海時代の香辛料、木の実や果実がヨーロッパにもたらされることでたくさんの改良が生まれ、カリブの島や新大陸には「ラム」などが誕生した。

 一方、日本の焼酎も、東アジアから海上ルートを経て渡来した蒸留技術によって、15世紀頃沖縄に生まれたと考えられている。

 

 

「発酵」という大発明

 酒の成分であるアルコールは、数多いアルコール類の中でも「エチル・アルコール」のこと指す。そして、エチル・アルコールは微生物の一種である酵母によって、ブドウ糖、果糖といった糖分から生成される。これを化学式で示すとこのようになります。

 

C₆H₁₂O₆  =  2C₂H₅OH + 2CO₂

 

 人間は、デンプン質の米やパンを食べて、体内でそれを炭酸ガスと水に分解するが、その過程で生ずるエネルギーを利用して生命を営む。酵母もまた糖分を摂取して、それをエチル・アルコールと炭酸ガスに分解するが、その過程でエネルギーを得て繁殖する。こうしたエチル・アルコールが生成される過程を「発酵」という。

 

 「発酵」は、人類がここまで発展できた大発明の1つと言えます。

 

 

Thank you.

 

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