【カルチャー研究】「酒と人類」は密接に繋がっていた!紀元前に遡り、起源と発展についてまとめてみた。

 

はじめに

 みなさん「お酒」をどのように楽しんでいますか?きっとそれぞれ好きな時に、好きなことをしながら節度をもって楽しんでいることでしょう。

 私は「酒と人類」というテーマについて前々から興味を持っていました。これは追究した結果「お酒」は我々人類と密接に関係しており、共に進化を遂げてきたことがわかりました。

お酒はいつ、どこで、だれが、どのようにお酒を生みだし、伝承してきたのか。

よく飲まれる人もそうでない人も、ちょっと立ち止まって「お酒」を1つの文化として捉えてみてはいかがでしょうか。

「酒と人類」について複数回に分けて、まとめてみます。

今回はその第一弾となります。

 

バックグラウンドの重要性

 ここで2つのシチュエーションを想像してください。

 

 あなたがレストランにいった時、店員さんが水を持ってきました。

 

➀ 何も言われず出された水

➁「〇〇の湧き水で採れた天然水です」と言われた水

 

 それぞれの水を飲んだ時、どのように感じますか?

 

 

➀は、特別なにも感じない人が多いでしょう。

➁の水はどうでしょうか?

 

「〇〇の湧き水」と言われた時、美しい自然の情景が脳裏をよぎる。

なんだかいつもの水より美味しい気がする…! そう感じる人も少なくないでしょう。

 

一方で、「いや~そんなの気のせいでしょう?」

そう思う人もきっといるでしょう。

 

ただ、何割かの人たちが「美味しい『気がしている』」ということは事実です。

「天然水」という自然からの恵みに魅力を感じて、美しい情景がイメージされ、脳が美味しいと認知している。これは紛れもない事実なのです。

 そもそも、人間の味覚はそれほど優れていません。人類が生きる上で必要な味覚としての機能は「毒か毒でないか」という判別のみ。現に、鼻をつまんで何かを食べても味がせず、感じるのはせいぜい苦いか、苦くないかである。味の内容はというのは嗅覚で感じ取っています。

 

 話は長くなりましたが、食べ物それ自体に対して、各人がどんな意味づけをするか、理解がどれだけ深い、の差によって効用(物から得られる幸福度)の受け取り方が大きく変化します。

 今回の「お酒」に対しても、背景や歴史について理解を深めることで、きっと今まで以上に味わい深く飲むことができるでしょう。

お酒好きな人も、そうでもない人も、文化という見方で時の流れに思いを馳せてみると、きっと新しい感覚を得ることができるだろう。

今回は、お酒が飲まれる舞台となる「酒場の歴史」を紐解いていきましょう。

 

「酒場」とは

 酒場、と聞いてどんな場所を想像するでしょうか?

酒場とは、酒を商品として提供し、その場で飲ませる営業形態の店舗のことです。

現在は、そのような店舗を世界的に「バー(BAR)」というアメリカ起源の言葉で呼ぶのが一般的であり、日本でも多く使われています。

その「酒場」とはどのように誕生したのでしょうか

 

ハンムラビ法典の根拠

 酒場に関する最も古い文献は、紀元前1800年頃の楔形文字で粘土板に刻まれたハンムラビ法典です。なんか世界史でやった気がしませんか?

 これは古代バビロニア王国のハンムラビ大王(B.C.1688~1728)が制定した法律であり、世界最古の成文法として極めて重要な史料です。なんとこ条文の中に、酒の存在が登場しているのです。

 

以下条文(現代語訳)。

 「もし、ビール酒場の女が、ビールの代金を穀物で受け取らず、銀で受け取るか、あるいは穀物の分量に比べてビールの分量を減らした場合には、その女は罰せられて、水の中に投げ込まれる(108条)」

 

このことから、紀元前1800年頃の古代バビロニア王国において、すでに経済的な交換の原則に基づく酒場が存在していたことを意味しています。

 

古代エジプト・ローマ

 一方、古代エジプトにも興味深い文献が残っています。紀元前1400年頃のパピルス文書に、「ビールを飲ませる酒場で酔っ払ってはいけない」などという文言が残っていました。(※パピルスとは、古代エジプトで使用された文字の筆記媒体のこと)

 古代ローマでは、行く先々で野営をしながらヨーロッパやアフリカへ向けて勢力を拡大していました。野営地では当然、宿泊施設が必要となり、イン(INN:雨露が凌げ、眠ることができる場所の意)が出現しました。INNの周辺には集落ができ、続いてその飲食部門を独立させたタバーン(TAVERN:居酒屋の意)が生まれ、INNは宿泊、TABERNは飲食を主とした施設に変化を遂げました。

 ちなみにTAVERNからは飲食の「飲」だけの需要に特化した酒場が独立し、主にビールを飲ませるエールハウス(ALE HOUSE)が登場しました。この頃、大国イギリスはビール酒場全盛の時代に突入しました。

 

古代ローマにルーツをもつ業態変化

INN ⇨ HOTEL

TAVERN ⇨ RESTAURANT

ALE HOUSE ⇨ BAR

 

 語源が生まれ、長き時を経てもなお、現代に受け継がれていることがわかります。

 

 

酒場(BAR)の語源

 バー(Bar)とはアメリカ合衆国が語源となっています。その超大国アメリカの歴史は東海岸からスタートします。そうです。自由の国アメリカを創造した「移民」の存在です。なんとここでもお酒が人類の発展と大きく関わっていました。

 

移民の足跡?

 

 移民は様々な方面から大移動を始めました。イギリスやアイルランドからの移民は、アパラチア山脈を超え、西を目指し、フランスからの移民はミシシッピ川を遡り、セントルイスやシカゴへと進みました。

 彼らが前進していった跡には「村」ができ、先ほどと同様に、タバーンやサロン(SALON:フランス語で人々がくつろげる場所の意)が出現しました。後にサロンは訛ってサルーン(SALOON:大広間、談話室の意)となり西部開拓時代の簡易居酒屋の名称になったとされています。やっと「居酒屋」という聞きなれた言葉が出てきましたね。

 

居酒屋のルーツ

 こうした簡易居酒屋は、ビールやウイスキーを樽から量り売りしていた。荒くれ者の中には酔っ払うと自分で樽に近づき、勝手に飲む者も現れた。そこで経営者は樽と客席を仕切るための横木(Bar)を設け、酔漢が近づけないようにした。これがBARの語源と言われている。

 

 

日本の酒場

 我が国、日本の酒場はどのように誕生し、発展してきたのでしょうか?

 

外国人専用?

 日本の酒場(BAR)は外国船の寄港地であった神戸や横浜の港町が中心で、主に外国人を対象としていました。日本人を対象とした酒場の誕生は1911年(明治44)年に東京、日吉町(現在の銀座8丁目)の「カフェ・プランタン」であると言われています。

 しかしその後、関東大震災や第二次世界大戦によって、東京の酒場は下火となってしまいました。たくさんの苦難を経て、戦争も終わりを迎えたころ、日の目を浴びることとなりました。

 

酒場元年・ブーム到来

 戦後の酒場元年は1949(昭和24)年で、営業再開が認可され、酒類販売が自由化によって全国の年にスタンド・バーが生まれていった。

そして日本には、以下のようなブームと時代が誕生しました。

 

日本の酒場とブーム年表

1950年 トリスウイスキーの販売により、トリス・バーの時代

1960年 大型化したコンパの時代

1970年 スナック・カラオケ・パブの時代

      トロピカル・カクテル・ブームの到来

1980年 カフェ・バーの登場

1990年 本格バー、ショットバーの時代

2000年 ダイニングバー、アジアンテイストブーム

 このような幾多の時代を経て、酒場業界は隆盛しました。

「商品(酒やカクテル)をいかに売る時代から、客をいかに店のファンにするかを考える時代」へ

と変化し、現在に至っています。

 

まとめ

 人類誕生から現在に至るまでの旅路には、必ずと言っていいほど「衣・食・住」が伴っていました。中でも「お酒」そして「酒場(BAR)」の存在によって人類は、時に結束を固め、時に神を祀り、時に疲れを癒すことで、大きな発展を遂げていきました。

 時代は違えど、現在の我々もそれに通ずるものは無いでしょうか? より良く生きるために働き、疲れを癒やす為に睡眠をとり、時にはお酒で心身の健康を維持している。お酒は百薬の長ともいいます。酒の歴史と人々の営みを知ると、たくさんのことを感じます。衣食住の行動は古代バビロニアの人々やアメリカを開拓した移民と何ら変わらない。人類の発展には「お酒」の存在があったのです。

今度、あなたがお酒を飲む機会があれば、古代バビロニア王国に思いを馳せて、飲んでみてはいかがでしょうか。

きっといつもより美味しい「気がする」かもしれませんね。

 

 

次回につづく。

 

Thank you.

 

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